四柱推命について

 

四柱推命は統計学などではありません。

この世界が陰と陽の性質を持つ五つの要素で構成されているとする、古(いにしえ)の発見を基に人の運命を読み取る術を編み出したもの、即ち「運命術」です。

このサイトを訪れた方で四柱推命を詳しく勉強してきた方は勿論のこと聞いた事がある程度の方でも「四柱推命とは統計学に基づいた立派な学問である」といった言説を見聞きした事があるかと思います。
四柱推命とは生年月日時から命式を割り出し鑑定するものであり尚且つ「四柱」と銘打っていても実践では生時を知らない方の為に年月日の三柱を用いての鑑定を行うのが常になっています。
日干や月支の変通星で人間を10通り程度にタイプ分けするのが四柱推命だと思い込んでおられる初心者レベルの方には誕生日を基に鑑定するスタイルがいかにも誕生日統計学の様に見えるかも知れません。
また、種々雑多な占いと違い四柱推命には上記にある陰陽五行説と呼ばれる一貫した理論の上に成り立っており学問としての側面を否定するつもりもありません。
ただ私の場合、四柱推命の奥義を理解された良き師との出会いに恵まれた為、ある程度深く四柱推命を学んでいくうちに合や冲・五行の強弱・干支の特性等によって千変万化する命式判断が統計学程度の内容では推し量れるものでは無い事くらい容易に理解出来るようになりました。
四柱推命又は占い全般を「統計学だ」と云っている御仁は「私は簡単な事しか占えません」と白状している様なものです。

問題は一知半解な占いの先生に教わったり独学で専門書や様々な流派の判断方を頭に詰め込んだりしてきた人ほど四柱推命の学問としての一面に魅了されてしまうようです。
「五行の喜忌と用神の算出こそが四柱推命の命題」と云えば何やら含蓄がありそうで聞こえはいいですが日干の強弱判断のみで人生の幸不幸が決定される占いに救いはありません。
又、その理論通りにいかない箇所が出てくると「何かもっと他に鑑定に必要な理論があるのではないか?」と悩んだ挙句に「空亡は不要」だとか「調候用神こそが重要」等の独りよがりな理論に行き着く訳です。
「空亡は怖いもの」とゆう認識は間違っているのは確かですが鑑定要素に必要なものですし、調候用神もある程度四柱推命を学んでいれば周知の存在で特別な秘伝ではありません。
逆に原典の訳書や専門書を読み漁って学的研鑽に励む偏狭の御仁にとってはそれらの書籍以外から知識を得る術が無い訳ですから必然的に「秘伝奥伝などあってたまるか」となる訳です。

もっとも正師と出会う以前は私自身も学的アプローチでのみ四柱推命を習得出来ると思っていましたので、この様な試行錯誤をされる方というのはある意味真剣に四柱推命に取り組んでおられる方だとも理解出来ます。
占いに限らずどんな分野でも同じ事が云えますが正しい知識と理論を持つ師に出会う事がいかに重要か思い知らされます。
真の四柱推命とは日干の強弱に関わらず人生の指針を示してくれるツールでなくてはなりません。
そういった推命鑑定を可能にするには五行の強弱もさることながら変通星や十二運の「真の意味するところ」が重要でありそれらを理解するには「心の性質」を知る必要があります。
そこの処を理解せず学問的学習のみの推命鑑定をしようとすれば、やみくもに吉凶を論ずるだけの不毛な鑑定しか出来ないと思います。

これは想像ですが、もし仮に「古代中国で生まれた統計学」なら現代とは違いこの様な膨大なデータ収集は時の為政者の号令の下で国家的事業として行われなければ不可能であったと思われます。
怪しげなオマジナイ的な占いの類と一緒にして欲しくないという気持ちは理解出来ますが「滴天髄」「淵海子平」「窮通宝鑑」等の原書に精通している事を誇らしげに喧伝している学問派の方々の中には必ずと云っていいほど「統計学が起源」みたいな事を深い考えも無く吹聴している方もいるようです。
「きっとそのほうが世間は感心してくれはず」と勘違いしているようですが、実際そういった方々のサイトや出版物で「いつの時代のどの地域で何万人位の人達を相手に何十年掛かって採取した統計である」と信頼出来る歴史的データを示して言及されている論説を拝見した覚えがありません。